「リスクをとれば成功できる」「リスクをとらなきゃ一生成功できない」……成功者が成功していない人間に対して成功哲学を言うときの代表的なセリフ……果たして本当にそうなのか?それは誰にも分からない。ただ、私はその言葉を信じ圧倒され感銘を受け成功するためにリスクをとった。しかしリスクをとったがために地獄に落ちることとなった……。
それに「リスクをとれば成功できる」「リスクをとらなきゃ一生成功できない」って言葉には私なりに成功できると思わずにはいられない根拠と確信があった。それは30歳から36歳まで6年間無職ニートで毎日体たらくな暮らしを余儀なくされ、人生なんてくだらねえとつぶやき、くすぶりながら過ごしていた。しかし本音で言えば、人生を変えたいと思っていた。しかし、無職ニートの6年間では人生は変えられなかった。
人生を変えられなかったただ一つの理由……その理由とは、まさに成功者が口をすっぱくして言う成功哲学を実施していなかったから6年間無職でニートだったのだ。「ああ~、なるほど……だから私は無職でニートだったのか」と頭をガツンと鈍器で殴られたような衝撃を受けたのも事実。
ちなみに2ヶ月前リスクをとる決意をしたときの記事はこちら↓
人生のリスクをとらなきゃ成功できない!一人暮らしのリスクを私はとる
目次
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本気で金持ちになれると信じていた
リスクをとったときは本気で金持ちになれると思ったし、これで人生変えられると本気で思った。毎日、将来金持ちになっている姿を想像してニヤニヤしながら過ごしていた。それに「リスクをとっていないから成功できなかったんだ!」「無職ニートだったんだ!」って本気で思っていた。6年間の無職ニートで無駄に過ごした時間を取り戻すかのように私はリスクをとる決断をした。
それがたったの2ヶ月で……リスクをとってたったの2ヶ月で約50万円を失った……。親から借りた大切な大切な命金の全てを失ったのだ。色んな人に裏切られた。騙された。蹴落とされた。そして皆に背中を押されて地獄に突き落とされた……。
リスクをとったときに、もうフラグはたっていたのかもしれない。こうなることが決まっていたのかもしれない。そう思うと今後の人生でフラグがたつ可能性を最初に必死に模索し検討し決断しなきゃならないって思う。けど、もう遅い……それは命金の50万円を失ったあとなのだから……もう何もかも遅い……。
人は簡単に他人を裏切る
人は簡単に他人を裏切る。そして他人をものすごい灼熱地獄の誰も行きたくもない死んでも行きたくない地獄に突き落とす。マジで突き落としにかかる。やらなきゃやられると言わんばかりに本気で突き落としに来る。
灼熱地獄に突き落とされ皮膚がズタズタにとけて顔が分からなくなるくらい焼けどしても、その人の痛みなんて分からない。髪の毛が全部燃えて、皮膚がズタズタになって、それでもその姿で一生生きていかなければならない人の痛みを全然考えない。痛い、痛い、毎日泣き叫んでもそいつらには伝わらない。だから人は簡単に灼熱地獄に他人を突き落として笑いながら泣き叫んでいる人間を見る。
何らかの感情はあるのかもしれない。「申し訳ない」とか「気の毒」とか「かわいそう」とか、だが金のためなら他人を蹴落として、地獄に突き落とす。泣きながら泣きついても金を返してくれないし、私の叫びが聞こえないところに逃げていく。逃げれば最後、もう相手に叫び声すら浴びせることはできない。そして逃げられたあと、改心してくれると信じていても決して改心してくれない。
相手に悲痛な泣き声や叫び声を聞かせることができないので、その内、忘れ去られてしまうのは明白である。だが痛めつけられた本人は決して忘れない。恨みと共に一生消えない痛みと憎しみを心に掲げずっと死ぬまで苦しみながら覚えている。
だから、だから……くやしい……くやしくてくやしくてたまらない……。気が狂うほどのくやしい憎悪を心の中に秘めて今後もずっと一生過ごさなければならない。例えるなら整形手術で美人になれると思って整形した。しかし、美人とは程遠い、整形する前よりもひどい顔にされ、一生その顔で残りの人生を歩んでいかなければならない。外出するときは常にサングラスとマスクで顔を隠し、一生素の自分を相手に見せられない状態で過ごさなければならない。もちろん結婚なんて夢のまた夢……ファントムのような悲しい最後を遂げることとなる。
私はこの2ヶ月でファントムと同じくらいの絶望感とくやしさを味わったのだ。こんな状態にされてどうやって生きろっていうんだよ!こんなひどい状態にされて残りの人生どうやって生きていけばいいんだよ!くやしい!許せない!だが、復習する力も能力も何もない。だから何もかもあきらめて全てを終わらせたい……もう終わった!何もかも終わった!そういう状態を私は今歩んでいる。
終わらせたい……もう人生を終わらせたい……今はそればかりを考えている。
人の本質とは?自分や家族を守るためには他人を蹴落とさなければ生き残れないのか?
だが、人の本質を冷静に分析すれば、他人を突き落とすのは当然なのかもしれない。例えば海で溺れているとする。丸太に見知らぬ他人の家族4人がしがみついている。その丸太に36歳の汚らしいおっさんの私が助けて!ってしがみついたとする。すると丸太は沈みそうになる。その場合、その家族は私を突き落としに来るだろう。私を突き落とさなければ丸太が沈み家族全員が助からなくなるのだから。
確か、有名な戦争アニメの映画でも、他人の子供には味噌汁の汁だけ与えて、自分の家族には具沢山の味噌汁を飲ませていた。うまそうなおにぎりの弁当まで持たせていた。あれを見てひどいっ!て思ったが、誰かを助けるということは、その分、自分の肥やしを手放さなければならないことなのだと思う。
それを手放したくない人間が生存競争と言う名の金取り合戦の世の中では勝ち組になれる器なのだと思う。他人を突き落としにかかる。自分の肥やしを手放したくない人間を強欲な人間だと思うかもしれない。自分が守れる人数には限りがある。そのとき、他人の私が助けを求めても助けてくれないのは仕方がないのかもしれない。
だが、家族の長が他人に尽くすばかりで、自らの家族を省みない人だったらどうだろうか?それなら多少冷酷かもしれないが、他人を突き飛ばして家族を守る長の方が家族や子供からしてみれば素晴らしい長なのではないかと思う。そしてそういう長の元に生まれた子供は貧乏人では味わえない教育という素晴らしい財産を与えられる恩恵にあると思う。
子供のころの教育……貧乏だと好きなスポーツ少年団にも入れない。幼少のころ野球が大ブームだった。常にキャプテンとプレイボールという漫画を何度も何度も愛読していた。ボロボロになるまで愛読した……。
「野球がしたい!」「本気で野球がしたい!」野球が好きで好きで死ぬほど好きだった私は、お母さんに何度も何度も野球に入りたいと懇願しようとしていた……しかし、懇願することは一度もなかった……喉素まで懇願する言葉は出ていたのに……「野球をしたい!」の一言が言えなかった……それは子供ながらに分かっていたから……家が極貧の貧乏家庭だということを分かっていたから、親に「野球がしたい!」の一言をずっと言えなかったのだ……今でも夢を見る……「野球がしたい!」って強い強い願望の夢を見る。それを思うたびに貧乏な家庭に生まれたことを本当に悔やんでいる……甲子園で泣いているやつなんざ幸せモノじゃねーか!?私はスポーツ少年団の野球に入れてもらうことすら叶わなかった……。「野球がしたい……」今も子供のころの強烈な夢を見る……。
多少強欲な他人から見れば卑劣な親でもいい……教育を受けさせてくれるなら、私はそんな強欲の卑劣な親の元に生まれたかった。貧乏でスポーツ少年団で野球ができない家庭より……私は強欲で他人に卑劣な親を選ぶ……。
この生存競争のシステムは本当に恐ろしい……とるかとられるか……やるかやられるか……私は過酷な生存競争で丸裸にされ落ち武者になった……ただそれだけのことなのかもしれない。世の中に勝ち負けがあるのならば……負け組みに降格しただけの話。
ただ、この恨み辛みを果たさないかぎり死んでも死に切れない!っていうくらいの根性と執着心があれば、大成するのかもしれないが……もはやそれすらない。ただ、布団に横になっていたい……。布団に横になって寿命の80歳を迎えたい……人生の時間がもったいないだなんて思わない。早く、早く、人生を消化したい……ただそれだけを願う。
こんなズタボロの貧乏フラグがたった人生……本当に面白くない……私の大好きなスラムダンクの漫画の仙道が「勝つからおもしれーんだ」って名言がある。本当にそのとおりだと思う。負け組の私は人生が何も面白くない……。この人生を早く終えたい……。
https://youtu.be/THvXFH_jf60
親だけは違った
だが親だけは違った……無職ニートで6年間も食べさせてもらったのに、リスクをとると決断したとき何も言わず50万円貸してくれた。
私の家が裕福なわけではない。正直貧乏な家庭だ。学校はオール奨学金。奨学金を借りないと学ぶことができないくらい貧乏な家庭。必死に奨学金で学校を卒業して就職して30歳で正社員の仕事を辞めて、FXとバイナリーオプションで夢叶える為に無職になって、一文無しになって……それでも6年間面倒見てくれて、最後に50万円貸してくれた。
親だけは私に手を差し伸べてくれた……そんな大切なお金を私は2ヶ月で全部失ったのだ。
泣こうがわめこうが一度手放した金は戻ってこない
私は必死に泣きながら返してと懇願した。懇願に懇願を重ねた……。鬼のような形相で泣きながら必死に返して!と叫んだ……。
「金がないと僕の人生は終わる」「マジで金返して」「本気でヤバいから金返して」「親からもらった大切な命金だから返して」「返してくれないと本当にヤバいから、マジでヤバいから金を返して」「返してくれないと人生終わっちゃうんだよおおおおお……」と泣きながら叫んで訴えても金は1円も返ってこなかった。たったの1円も返ってこなかった。
なんだったんだよ……本当になんだったんだよ……この2ヶ月なんだったんだよ……。私は気が狂いながら泣いた。泣き叫んだ。泣きすぎて声がかれて喉にポリープができるんじゃないかというくらい泣き叫んだ。だが金は返ってこない。命金は返ってこない。
金があれば人は寄ってくる。金があれば自分自身大きく出れる。しかし、金が無くなれば皆、離れていく。イナゴのように金だけ奪ってなくなれば皆、離れていく。返してと懇願すればするほど離れていく。リスクをとったがために私の人生は地獄の釜のそこで焼かれることとなってしまったのだ。
現在は寝たきりの生活を余儀なくされている……それすら邪魔するのか?
リセットしたい。人生をリセットしたい。今は毎日そう思いながら寝たきりの生活を余儀なくされている。寝ることでしか現実逃避するすべがもはやないのだ。だが寝ることさえも許されない毎日がここにある。
それは隣の部屋から毎日ギシギシとベッドのきしむ音と猫のような叫び声が毎日ひっきりなしに聞こえやがる。その音と猫のような叫び声を聞くと本当に気が狂いそうになる。
「ギシ……ギシ……」始まったか……静かに立ち上がり、テレビを消し電気を消す。換気扇を切り、冷房を止める。壁際に行き静かに目をつむる。心臓がドキドキしながら、静かに目をつむり瞑想する。「ギシ……ギシ……」「うふふ」とか「ははっ」とか笑い声が聞こえる。楽しそうな男女の笑い声が……だんだん笑い声がなくなり本気モードに入ってくる……そろそろ始まる……始まろうとしている……てか、もう始まってんの?出遅れたか?私はさらに精神を研ぎ澄まし静かに集中する……。
期待して静かにそのときを待つ……そしてときがくる……始まった!「ギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシ……」それと同時に猫の叫び声のような声が聞こえやがる……すげーリズミカル!軽快なダンスにも勝るベッドのきしむ音!もはや日課……朝も昼も夜もランダムに必ず聞こえる……。もはや眠ることさえ許されないのか……。どこまで私を地獄に突き落とせば気が済むのか分からない。まさに壁1枚隔てて天国と地獄である。もちろん地獄は私の方。
当初は耳栓をして、ごまかして過ごしていた。しかし、耳栓のし過ぎで耳の穴が腫れてリンパ汁が出るようになってしまった。そのため、耳栓をつけることさえも許されなくなった。耳栓をつけてないのでダイレクトに「ギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシ……」という音と猫の叫び声のような声が耳に入る。
もうマジで日課……地獄の日々……本当にきつい……。きつい理由は単純に嫉妬だと思う。実家に引きこもり無職ニートで彼女がいなかったときは、「ギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシ……」と猫のような叫び声は聞こえなかった。だからくやしさも嫉妬心も何もうかばなかった。
彼女がいなくても普通に過ごしていた。彼女なんて要らないしって普通に思っていた。しかし、2万円のアパートに引っ越してきて、毎日リズミカルに「ギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシ……」と猫のような叫び声を聞くと、くやしさがこみ上げる。
そして本気で彼女がいないことへの絶望感と悲しさと虚しさを味合わされる。まさに地獄の苦汁を飲まされる!つまり現実を見せ付けられるって状態。
壁を1枚越えた隣で天国を味わっているやつがいる。人生最高の天国を……その差を現実で体感することにより、ものすごい嫉妬心とくやしさと憎悪が毎日にじみ出やがる。うやらましい……本当にただその一言に尽きる……。
そしてくやしくてくやしくて現実逃避するために寝ていても、「ギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシ……」と猫の叫び声のような声で起こされる……もはや私には現実逃避させてくれる時間すら与えてくれないのか……本当に精神と身体がピークをむかえているように思う。
最初から嫌な予感はしていた
最初からなんか嫌な予感はしていた。2万円のアパートなので、家賃が安い。家賃が安いから何かあるのかな~と思っていた。けどね自分の都合のいいようにごまかしながら引越しの日を迎えた。引越しの日、なんか嫌な予感がしていた。何も起こらなければいいとそう思っていた。しかし、嫌な予感ほど的中する。
引越し当日に私が借りていた駐車場に車が止められていたのだ。ていうかビップ止めで2台止めれる駐車場に斜めに前から突っ込み1台止めている感じで止めていた。むかつくなあ~と思って横に止めて待っていた。するとタバコをくわえた若者がでてきた。出てきたが何も行動しない。うまそうにタバコを吸い、ただ見ているだけ。吸い終わるとすぐに部屋に入った。私は自分のパーソナルスペースが汚されたことによる怒りがマックスになり、不動産会社を呼んだ。
不動産会社が来たのが40分後、その人に注意してくれた。そいつが何故か先ほどはしていなかったサングラスをし、またもや、うまそうにタバコをふかしながら出てきて車を止めなおした。普通バック駐車する感じで止める場所なのに、前から突っ込むかたちで止めたので、私は非常に入りづらかった。まあ、仕方ないやって思っていたし、嫌なやつが住んでるな~って思ったけど、2万のアパートだし普通に住んでいれば何も起こらないと思っていた。
しかし、その2万のアパートは壁が激薄だったのだ……となりのあくびの音、屁の音、カーテンを閉める音、テレビの音、楽しそうな男女の会話、料理を作る音、スマホの着信音、スマホの目覚まし時計、何もかもがまる聞こえ……そして、まさかまさかの引越し当日からの、「ギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシ……」という音と猫の叫び声のような声……それがひっきりなしに続いている……。
私は一人なので誰かとしゃべることはない。しゃべることはないから隣の若者は私が部屋にいないと思っているのかもしれない。だから遠慮なしなのか?それとも気にしない人たちなのか?それは分からない。
ただ、どれだけ自分が相手に対して怒ろうがムカつこうが、このリズミカルな「ギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシ……」という音と猫の叫び声のような声を聞くたびに自分の心が折れる……どれだけ怒ろうがムカつこうが相手のほうが私よりも上の立場だというのが男のプライドで分かるからだ。彼女がいない時点で、もはやとなりの若者よりも負け組みであるのは確か……彼女がいなくても勝ち組はもちろんいる。しかし、「ギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシ……」という音と猫の叫び声のような声を聞いて一瞬でもくやしい!うらやましい!と思った人間は負け組なのは間違いない。私は、くやしい!うらやましい!と思って過ごしているので負け組みであることは明白である。
派遣の工場!食堂恐怖症になり半日で辞表
普通に働けばいいのだろうが、働くことはできなかった……。派遣の工場に行ったのだが、半日で辞めて帰った。理由は食堂に入ったときに挙動不審になったからだ……。
食堂に入ると皆、おぼんを持って並んでいた。私も皆の真似をしおぼんを取り並んだ。おぼんにご飯を取り、おかずを取り、お茶を取り、取りながら意識は座る席へと動いていた……どこに座ろう、どこに座ろうばかりが頭の中を巡った。
席のことを考えると不安が駆け巡る……。気がおかしくなるくらい挙動不審になっていた……。目はギョロギョロと動き、席ばかり見ている自分……周りの人間も私をおかしい人間だと思い見てくる……汗が滝のようにおでこと脇から流れ落ちる……。極限の緊張はもはや人体を超え、ピークに達していた……。
最後にデザートを取り座る席を見回した。そのとき、座る席が空いていなかった(挙動不審になり空いている席を探す余裕がなかった)ので、立ったまま泣きそうな顔でどこに座ろうかと席を見渡していた。そのとき食堂のおばちゃんが一言、「新しい人?どこでもいいから自分の好きな空いている席に座って食べてね」と言った瞬間涙がにじみ出た……涙が泣きたくもないのに、その優しさに心を打たれて涙が自然に頬をつたった……私は、涙をぬぐい、食器返却口にそのまま昼食を全部返して、食堂をあとにした。
その姿をみんなが見ていた。私はそのときやめる決断をした。もうこんな工場にいられない。恥をかいた。一刻も早くここから立ち去りたいと思い泣きながら車の中に走った。
車の中でソッコー派遣会社に電話をし、自分に合わないので辞めさせてください!と懇願した。懇願した結果、無事辞めさせてもらい2万円のアパートに帰宅した。
それから食堂恐怖症になり、働くことができないでいる。働きたくない……無職ニートに戻りたい……。今は本当にそればかり考えている。
最後に
私は6年もの間、無職ニートで過ごしてきた。貴重な貴重な30歳から36歳までの若くて精力的な時期を三畳一間の部屋でくすぶりながら過ごしてきた。6年前……無職ニートになって実家に帰った日を今も鮮明に覚えている。本当に昨日のことのように思う。あっと言う間の6年だった。小学校に入学した1年生が6年生になるのとは大違いの体感速度の差があった。
無職ニートの日々は「あっ」って言う間に全て消去できるような何も得ることはない、何も成すことはできない、ただ時間だけが過ぎた日々だった。楽な日々で得られるものは少ない……ほぼ、皆無と言っていいだろう……。
つらいことももちろんあった。それは三畳一間の部屋にねずみがでたこと。ねずみの糞が大量に押入れの中にあり、赤い気持ち悪いダニが大量発生していたこと。窓際に置いていたカミソリの鉄の部分に気持ち悪い白いダニも発生していたこと。とにかく劣悪な環境であったことは確か。それでも何もしてこなかった楽な日々はあっという間に終わりをつげて私はリスクをとり無職ニートを卒業した。
しかし……ときはたった今、また実家に戻りたいと思い始めている……。今ではリスクをとったことをものすごい後悔している……。戻りたい……実家に戻りたい……実家に戻って平凡にお小遣いをもらい艦これしながら2ちゃんまとめ見て、ユーチューブを見て、堕落した生活を取り戻したい。今はそればかり考えている。リスクをとり引越しをして2ヶ月、私は出戻りの準備をしている。もはや一生無職ニートから卒業できるとは思えない……。
親になんて言えば許してもらえるだろうか……そればかり考えている。二度目の出戻り……早く決断しないと実家の三畳一間の部屋が物置にされてしまう……今月中にでも決断したいと思う。
もう、こんな2万のアパートも嫌だ……毎晩毎晩、「ギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシギシ……」という音と猫の叫び声のような声がうるせえ……仕込みばかりしてんじゃねーよ!マジうるせーぜ!隣の若者は毎日が天国モードてかっ!こっちは地獄の鎌の底なのになあ!イライラはもはやピークに達している。頭の脳みそがパーンってはじけ飛びそうなくらいピークに達している。
人生最大の男の天国を味わっているやつと、人生最大の地獄の鎌の底で焼かれているやつ……この差を感じたとき男は本気で涙する……。にじみ出る男のテストステロンにまぎれた男くさい涙……これほどつらいものはない……その涙は7年地中にいてようやく地上に出たが、交尾することなく絶命したセミの涙と同等。
隣から楽しそうな男女の声や焼肉やカレーのにおいがするたびに、ものすごく悲しくなる……。こっちは毎日塩パスタしか食べてねえのに。本当に泣き叫びたくなる。人は他人の幸せと自分の不幸の差を見せつけられるとガチでくやしくて嫉妬して憎悪が増す……。ただ、このくやしさをバネに頑張ればいいのだろうが、6年間無職ニートだった私にはもはやその力はない……。つらいことから逃げ出すだけの逃げ癖がついた私にはもはや自らの幸せを掴もうとする力は残されていないのだ。
リスクをとったがために私の人生は台無しになった。「リスクをとれば成功する……」「リスクをとらなければ成功できない……」それは限られた人間にだけ体感できる奇跡と天命が掛け合わされてようやくミクロ単位で発生した限りなく少ないミジンコレベルの確立がおりなすドキュメントな話なのかもしれない。リスクをとり成功した人間の影には私のように泣きながら地獄の鎌の底に落ちる人間も大勢いるということを分かっていただきたい!と切に願う。
もはや親に寄生するしか生きるすべはなし……。「生んだ責任……取っていただきます……」。「免責なんて私は認めない……」。